この記事を読むと、人と心地良く繋がるために知っておきたい「心理境界線」がなになのか、モヤモヤ知らずの人づきあいのヒントが得られます。
こんにちは。『自分の心を育てる』心理カウンセラーの月野瀬みさとです。
「雑用を押し付けられていつも忙しい」
「共稼ぎなのに、家事はわたしばっかり」
「好き勝手な助言をされて、息苦しい」
こうした人間関係のストレスを抱えるあなたに是非知ってほしい「境界線(バウンダリー)」をご紹介します。相手や自分の心の敷地に踏み込んだり、込まれたりの日々のストレスから解放されますよ。
境界線とは
境界線とは、「自分」と「他人」を区別する心理的・物理的距離のこと
恋人と手を繋いだり、キスをするとドキドキして嬉しくても、なんの恋愛感情もない上司に突然キスされたなら、この上司の行為はセクハラという犯罪行為ですよね。
言動そのものは同じでも、“誰に” や “どういう場面で” によって、その時々に感じる心地よさや不快感って感覚的に決まっていきます。そうした「自分だけの敷地」のようなエリアが、人の心には存在しています。
人は頻繁に心理境界線を侵犯しあっている
人は、日常的に互いの境界線を勝手に越えたり、超えられたりしています。この境界線の感覚が曖昧な人ほど、相手に不快な言動をしたりされたり、人に振り回されやすくなります。
「雑用を押し付けられていつも忙しい」
「共稼ぎなのに、家事はわたしばっかり」
「ママ友のランチのお誘いが本当は苦痛」
「子どもに勉強しろと言っても、ゲームをやめない」
「デートでは男が奢るものと言われ、イラっとした」
これらは境界線が曖昧がゆえに起こる問題ですが、誰がだれの敷地に入り込んだり、込まれたりしているのか、わかりますか?こうした場面では、自分と相手の一方、あるいは両者ともが「不快」や「イライラ」を感じています。
境界線が曖昧な人に欠けている視点
境界線の曖昧な人には、重要な「2つの視点」が欠けています。
①自分の境界線の内側では、わたしは選択の自由を持っている
②相手の境界線の内側では、あいては選択の自由をもっている
心理学では、自由と責任は1枚のコインの表裏のように、同じ場所にあると考えます。
つまり・・・「宿題をする」ことも、宿題をいつするかも、さらには宿題をするかどうかも、宿題を課された子供の責任で、その子の自由ということになります。
「ちょっと待って。親には子供を躾ける責任がある!」と言いたくなりますよね?
「責任」ばかり求められ「自由」を奪われてきた人には、天地が引っくり返るお話。でもね、人って責任と自由をセットにしてもらえないと、いつか気力が失せる。だって、責任だけあって「成長」や「喜び」の自由を取り上げられると、息苦しい。
逆に、「責任」と「自由」をセットにしてあげれば、「責任」を果たすことに “モレなく「やりがい」もついてくる”んです。
それがわかれば、「雑用を押し付けられていつも忙しい」人も、人の期待に応えるかどうかは自由だと感じられて、「ごめん。今手一杯で」と断れるようになります。
最後に
人間関係で「モヤモヤ」した時、必ず自分か相手のどちらかが境界線を越えています。対人関係での違和感を感じたら、「あれ?」と立ち止まり、観察する習慣を持ちましょう。
神経質にならなくて大丈夫。落ち込む妻を夫が慰める時、互いの境界線を超えてあたたかな気持ちになりますよね。「絶対に境界線を超えない」と考えなくていい。 違和感を感じたり、違和感を伝えられた時、互いの自由を認めて距離設定をし直せばOKです。
「いやいや、それができたら悩まない」と思われた方。人の期待にNOを伝えるのって、まあああああ、怖いですよね。私もそうでした。「自分が幸せになる自由」を選ぼうとすると、なぜ悪い未来が頭をよぎるのか、怖さをどう扱うか、そうした心理研究は結構進んでいます。
ご興味があるかたは、お気軽にご相談下さい。